ご挨拶院長 岸川正大私どものホームページへご訪問くださり、有り難うございます。
私が何故に医療法人長崎病理を立ち上げるようになったのか、その経緯を含めてお話をさせて頂くことで「ご挨拶」と代えさせていただきます。

病理の大学院に入学した頃(1972年)は、病理医は基礎医学者であり、病理医として生きていくには大学の教官・教育者として残るか、国・公立などの比較的に大きな病院の検査科の長として勤務する以外には就職の道がほとんど無く、病理医として働く場所は非常に限られていました。
「病理医はDoctor’s doctor なんだよ!」と大先輩達から聞かされても、その待遇や収入の実態を見た若い私としては、むなしい響きに思えたものです。従って、私自身は大学院を修了後は、内科か皮膚科へ進む予定でした。
そのようなある時の病理学会で、非常にご高名な先生が「病理診断で開業をし、高収入も得られる…」旨の講演をされ、「病理医としても生きて行けるのだ…」と認識を新たにしたことを憶えています。

長崎大学医学部に約20年奉職し、その後は愛知県の研究所に勤務していましたが、家庭の事情もあり25年間の公務員生活に終止符をうちました。
50代半ばを前にフリーとなった私に、幾つかの働き口のお話も頂きましたが、上述の「病理の開業」が頭に浮かび、第二の人生として挑戦してみることにしました。

病理の開業といっても、当時(2002年)の医療法と関連法規では、登録衛生検査所を開設するしか道はありませんでした。ところが、医療法や関連法規を紐解く中で、その登録衛生検査所でも「医行為としての病理診断」を業として行うことは「場所としては違法」であることが解ってきました。「医行為(医業)」は届出をした医療機関(診療所、病院)で行わなければならないので、メディカルフィットネス(リハビリテーション科)の診療所・院長として、午前中は患者の対面診療をし、午後からは院長室で病理診断を行う「二つの顔」をスタートさせました(2006年6月)。
その当時、病理学会としては「病理標榜科」実現への運動が続けられていました。大先輩方の長年の努力の結果、2008年4月に病理が広告可能な診療科「病理診断科」として標榜が可能になったので、保険医療機関・診療所としての「長崎病理診断科」を同月に開設致しました。

保険医療機関(診療所)として法的には他の診療科(内科や外科)と同等であると認められはしたものの、患者が直接来院しない病理診療所にとって、事実上の業務は従来の検査センター経由の「病理検査報告書作成」となんら変わることがない不本意な状態が続きました。例えば、事実上の病理診断という医行為をしているにも係わらず、そのドクターズ・フィーとしての病理診断料を得ることはできず、契約している検査センターから「病理標本作製料の一部」を「検査報告書作成に対する報酬」としてもらうという非常に奇妙な病理医の収入でした。

そういう中、長崎大学医学部出身の秋野公造参議院議員が誕生(2010年7月)し、ソフトテニス部の後輩で、元厚労省の官僚でもあったので、病理学会としても相談に乗ってもらい、国会・厚生労働委員会での質問など尽力を頂きました。その結果、2016年4月から従来の連携病理診断の施設基準が緩和され、私どものような診療所でも保険診療としての病理診断が可能となりました。
すなわち、今回の28年診療報酬改定からは病理医自身が「病理診断料と病理診断管理加算」を得ることが可能となり、病理診断科の開業医としても充分に生活が保証されうる状況・制度ができました。まだ改善を要する診療報酬表上の問題点は多々残りますが、これから徐々に改善されるものと期待されます。

現在はまだ、私のような保険医療機関としての病理診断科診療所の開業は日本では10箇所程度(2016年・秋現在)です。しかし、私のような開業(常勤の病理医2名、臨床検査技師1名、事務2名)でも、健全な経営状況と収入が得られることが証明されつつありますので、今後は病理医を目指す若手医師や病理診療所開業も増えてくるものと期待されます。
今後は地域医療の関係者の皆様に益々のご理解を頂きながら、医療圏内での着実な地域医療貢献を目指して頑張って参る所存です。
(長文・駄文を最後までお読み下さり、有り難うございました。)
2016.09.16:記

病理診断開業に関する既報